伝統とは守ることではなく、挑み続けること。革新を繰り返す「素麺屋『マル勝髙田商店』」の企業ビジョンに迫る。


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1933年創業のマル勝髙田商店

奈良が誇る伝統食“三輪素麺”を手掛けている老舗企業が今、企業リブランディングを行い、新しい食シーンを生み出すカフェの運営、D2C、オリーブオイルの輸入販売等々、素麺の製造販売の枠を超え、企業変革を加速させています。

年々市場がシュリンクする斜陽産業において、同社はいかにして事業を活性化させているのか?そして今後、業界全体をどう盛り上げていくのか…?

今回は素麺界の風雲児である、代表取締役社長の髙田勝一氏にお話を伺いました。

日本の手延べ素麺の発祥の地、
奈良で生まれた髙田商店。

[中許] 先ずは創業から今に至るまでのお話を聞かせていただけますか?

[髙田] 創業当時は米屋でしたが、僕で今4代目なんです。昔、この辺の農家は素麺とお米の兼業をやっている人が多くて。だから冬の閑散期に素麺を作って夏場は稲作で。それが約85年くらい前。当時は百何十軒もあったそうです。そもそも素麺が日本文化に定着したのは江戸時代と言われており、きっかけはお伊勢参りで流行したと言われています。

[中許] お伊勢参りと三輪素麺ですか?

[髙田] 全国から伊勢に人がやってくる。ここは宿場町だったので「三輪で食べた素麺が美味しかった」と全国に広まったそうです。だから素麺の産地っていうのは西日本に集中してるでしょう?播州、小豆島、長崎…。伊勢に入る時に三輪を通る西日本ばかり。東日本の方は三輪を通らずに伊勢に入るので。

[中許] なるほど。もうほんとに素麺の総本山というか本店ですね。

[髙田] だいたいこの辺の素麺屋さんっていうのは百貨店のギフトが中心で。池利さんや山本さんもそうですし。ただ、弊社は後発だったんで、大阪の乾物問屋さんに持ち込んで売って欲しいと。そこからスーパー等に広めていただいた。そういう経緯があるので、はじめから販路はスーパーマーケットが中心なんです。

[中許] 後発ならではの戦略を考えた訳ですよね。百貨店は老舗が抑えてる。そこでは勝負せずに、ちょうどダイエーさんはじめスーパーが元気な時に意図的に攻めていかれていたんですね。

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[髙田] そうですね、問屋さんのお力添えもあってですが。そこからどんどん親父の時代に素麺だけになっていって。三輪素麺って各社、全部が「三輪素麺ブランド」なので、独自ブランドを持ちたいと思い、この頃に「三輪の神糸」を作りました。そのパッケージにシズル写真を載せて清涼感を出したのはたぶんうちが初めてなんじゃないでしょうか。

30歳で入社。
きっかけは法律改定による業績悪化。

[中許] ここからは、髙田社長ご自身の話なのですが、入社のきっかけは?

[髙田] 子供の頃の夢はブルーインパルスに入ってパイロットになりたかったんです。しかし、高校入試の時に防衛大学に行きたいと親父に言ったら、「ええ加減にしとけ!」と。継ぐのはお前の運命だから、って言われました。それで大学卒業して2~3年は勉強してこい、と当時の松下鈴木(後の伊藤忠食品)に入社し、量販店中心にお酒の営業やりました。免許制だったお酒が色々規制緩和されて、酒屋さんがコンビニに変わっていく頃でしたから、その時の経験って楽しかったし、やっぱすごく勉強になっていますね。

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[中許] あの頃ってとてもお酒業界元気でしたね。ビール戦争やリキュールなど…その後に焼酎ブーム…。伊藤忠食品さんには何年おられたんですか?

[髙田] 2~3年のつもりが結局8年お世話になりました。東京転勤もあり、大丸東京さんの担当や三越さんの通販事業部の担当もしました。とても刺激的な毎日でしたね。ところが、2002年の三輪の産地偽装の問題で、親父がすぐ三輪に帰って来いと…。

[中許] あの時は一体、どういうことになっていたのですか?

[髙田] 法律改定で農水省のJAS法が変わり、産地偽装第一号の案件になったんですよ。それもおかしな話なんですけどね。大正時代くらいに素麺は北浜の三越でお中元として爆発的に売れていた。で、供給が間に合わなくなり島原へ協力してもらうことになるんです。島原と三輪って要は運命共同体みたいなところが昔からあるんですよ。こちらから技術指導に行ったりとか。ということで三輪素麺の生産拠点にもなっていたんです。

[中許] こちらからしてみれば三輪素麺の工場が島原にある、という認識ですよね。でも農水省からすると、三輪を謳いながら島原産を使っていると…。

[髙田] そうなんです。ある意味風評被害も含めて、三輪の産地全体がひっくり返ってしまった。その時に、父親に言われて今すぐ帰って来いと。だから僕、三輪に帰ってきてから、仕事内容はず〜っと信用回復。産地全体の業績が激減している時からなので。

[中許] ピンチの時に呼ばれて、どん底を味わって、あとはもう、信用を積み上げるしかないと。入社されて5年間は主に営業ですか? 経営についての勉強はどうされたんですか?

[髙田] ほぼ学ぶ機会がなかったですね。営業部長とか取締役はやりましたが。親父の病気もあり、35歳の10月には社長になりました。
僕が社長になって一番最初に言ったのが「今年が改革元年です」っていうこと。次代に生き残れるための進化をしていきましょうという意味。結局、いろんなことを現状否定しながらやって行かないといけなかった。その中でもやっぱり市場改革、環境改革、意識改革。それを言いながらずっとやってきて、着実に進んでいるところもあり、なかなか進まないところもあったりと、苦難の連続です。

[中許] 現場からの反発みたいなものは、かなりあったのでは?

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[髙田] めちゃめちゃありましたよ。トイレのスリッパを揃えることとか、会議中の喫煙一つから、環境を変えていこうとしました。全員年上で、しかも子供の頃に遊んでもらってた人達に対して口うるさく言わないといけなくて。でも、その時々で助けてくれる人がいるんですよ、賛同してくれて。もちろん退職する方もいました。でもこれをやらないといけない雰囲気を作っていきました。業界全体が古い時代のままで来ているので、中々大変でしたが。環境改革と意識改革です。

[髙田] 実は2005年、工場が新しくなった時に、パートさんも含めて一旦、全員解雇しているんですよ。その上で全員と面接をした。というのも素麺屋さんって3Kなんです。キケン、キツイ、キタナイ、それを変えていかないと。残業なんかもう十何時間労働とかあるんですよ。朝5時からコネが始まって夜までかかるから。でもそれを見直そうと。みんなでやっていくのではなく、いわゆる専門職にしようと。朝来てこねる人は9時間こねて終了。で、次の工程をやる人はその後来て9時間作業してもらう。

[中許] 単能工でシフト制にしたんですね。でも、変えたって簡単に言いますけど、それを変えたら、当時は大反発ですよね? ある意味で機械化、でもそれは机上での話。やろうかって言っても、中々賛同しないですよね。

[髙田] そうなんです。でも、やったんですよ。80人いた全員分を。こうやってこうやると、その間一切工場が止まらなくて済む、とかね。それで、今の工程がこう変わるから、こういう雇用形態になるので、もう一回再雇用させてくださいって全員面接して。

[中許] 多能工から単能工に大きく業務体制を見直したんですね。その時はお父様には相談しました?

[髙田] 「できるか、そんなもん!」って言われましたが、そこはもうゴリ押しですよ。とにかくやらせて欲しい、絶対大丈夫だからと。で、何とかOKをとりました。

[中許] 抜本的に業務体制を見直した際、品質は落ちなかったのですか?

[髙田] 全然大丈夫でした。むしろ品質は良くなったんです。こねる人はずっとこねる、すると「こねる」作業が上手になるので、各作業の工程品質が上がるんです。その結果、商品自体の品質も上がりました

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季節性商品という認識からの脱却は
業界の大命題。

[中許] 三輪素麺って、いわゆる伝統工芸の部類に入ると思うんですけど、やはり旧態依然とした業務工程が沢山あったんですね。それを一つ一つ現代の生産体質へ変化させたと。そのコツは何ですか? 言い続けること? もしくは熱量ですか?

[髙田] 熱量を持って言い続けることですね。市場改革もそう。ずっと言い続けています。例えば、「お中元市場」はもう復活しないと思うんですよ。新しい市場開拓やビジネスモデルを考えていかないと。それに対応できる環境を整えていかないといけない。何より僕らの堅い頭を柔らかくしないと、新しい発想は生まれないので。

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[中許] 2年前くらいに、髙田社長とはじめてお会いした時に「もう素麺はやらなくていい。」と仰っていた言葉がとても印象に残っています。あと、「ウチの営業は、どうやって流通さんに売り込むかしか考えていない。そんなことしたって、今の市場は落ちていくことはわかってるのに、なんでやねん」とも仰っていた。すごい先を見ている方だなと感じました。

[髙田] それで、じゃあ何を売る?何をしたらいい?というのはね、みんなで考えていかないといけない。僕だけの考えじゃ無理だし。この業界はずっと斜陽産業です。私たちは、素麺を通して「簡便」、「夏の涼味」、「義理を伝える」といったことを価値として提供してきました。でも今、これが全部なくなってきているんです。法人需要も減り、儀礼的なことはどんどん合理化されていく。じゃ、簡便かと言われると、夏に素麺をゆがくのは面倒だし…。

[中許] 今の時代、少しの手間で作れる食品はいっぱいありますもんね。流水を通すだけの麺とか。それにドレッシングも進化したんで、冷しゃぶサラダとか冷たい物が美味しく食べられるようになった。別に素麺を食べなくても、食べやすいものがいっぱい出てきているから…。

[髙田] ライフスタイルにおける「季節感」がなくなってきているんですよね。これだけ空調機器が進化すると「夏の涼味」を「食」で感じることが難しくなってきました。冬でもトマト食べられますし、きゅうりの漬物も夏しか食べられないはずだったのに…となってくると、素麺ももう嗜好品なんです。だからそれに合わせた形で僕らは市場を変えていかないといけない

[髙田] だから、いま取り組んでいるのは、やはり年間を通して売り上げを作ること。夏だけに偏っているのを毎月稼げるようコンスタントに。となると秋冬の食べ方の提案だったりね…。そこがもし浸透してくれば勝機はあると考えています。パスタやうどんをゆがくより短時間で済み、簡便さもある。それに、三輪素麺は温麺にすると他の素麺との差が歴然なんです。いわゆる機械の安い素麺は茹でると伸びてしまうけど、三輪の手延べの場合はコシがしっかり残るんです。

進化し続けることで伝統を革新する、
今日と変わらぬ明日のために。

[中許] 次に、これからの話なのですが、髙田社長は素麺以外のことも手がけたいという志をお持ちですよね。それと何と言ってもこの社屋と設備。非常に独特ですね。

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[髙田] もともとあったアットホームな雰囲気は残したかった。でも、コンセプトは研究室なんです。さっきお伝えした意識改革の一環で、ここで社員から色んな発想が生まれるようにしたい。だからIT企業に負けないくらいにしたかった。植栽がまだ若いですけど、今からどんどん育って大きくなってきたら面白いはず。全部ガラス張りなので、森の中で働いているようにしたいなと。

[中許] 意識改革というのは、枠に縛られない発想で、「素麺への飽くなき追求」なのか、それとも素麺以外の新ビジネス開発なのか、どちらもですか?

[髙田] どちらもです。その辺の垣根はないですね。素麺以外を、って訳じゃないし、素麺だけをということでもない。昔からずっと新しいコト、新しいモノじゃなくってコトの提案をしてきたつもりですし、いまの時代を先取りする新しいコトを、素麺を通してやっていきたい。その発想を生むための意識改革、そのために環境改革をおこなっている最中です。

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[中許] 御社の経営理念と素麺のドメインから外れなければ素麺以外でも良いということですね。

[髙田] そもそも、今まで経営理念ってなかったんですよ。社員全員と年2回面接するんですが、今までの弊社の社員ってとても保守的で。「何を一番望みますか?」って聞くと、「今日と変わらぬ明日が来てくれたらそれでいい」って言うんです。僕はそれがすごく引っかかっていて。だから僕は「進化し続けることで伝統を革新する、今日と変わらぬ明日のために。」という理念に一新させました。今日と変わらぬ明日を迎えるためには、自らを進化させていかないと同じ日は来ないんです。今日と変わらないことを明日しとったら毎日が変わっちゃうんです。それは、得意先ともそうだし、社員ともそう。うちにできることは、新しいモノを生み出すことは難しいですが、ウチの伝統を革新することはできるだろうと。

[髙田] だから、日本酒をイタリアへ持って行ったり、大和茶をブルガリに納品したり。レストランの「てのべたかだや」でやっているのも、羊羹をラム酒と融合させて新しい羊羹作ったり、今までにない素麺の食べ方をメニュー化したり。伝統であるモノを進化、革新していけば今日と変わらず明日も素麺食べて貰えるだろうと。ずっとお中元、ずっと冷やして生姜とネギで素麺提供していると、そりゃあどんどん減っていく。ちょっとずつその時その時代にあった形に変えて行く必要がある。それでやっと明日も明後日も、5年先も10年先も素麺を食べ続けてもらうことができるんじゃないかと考えています。

[中許] なるほど、腹落ちしました。いきなり素麺以外のことをやり出すのか?はたまた素麺の技術を使って違うものを作り出すんじゃないか? と思っていましたが、そうじゃない。「伝統の革新」という意味の中で、素麺を新しい食べ方にすることや、異業種との食文化で素麺市場を広げることなどを手掛けておられるのですね。

[髙田] 今日と変わらぬ明日のため、常に進化していかないと。だから今、工場もさらに機械化を進めています。よりデータを重視して、品質の安定性を高めたい。ベンチマークは旭酒造の獺祭さんですね。あそこは昔ながらの造り酒屋じゃなくって、醸造学やAIを取り入れ、品質にこだわり抜いた日本酒造りを実践し、安定した供給・高品質の維持に取り組まれています。杜氏さんが昔ながらの勘と経験で、木桶で作ったお酒も美味しいけれど、醸造学を学んで温度管理をきちんとやって作るお酒もまた美味しい。食品工場のDX化は目下の目標ですね。

[中許] 最後の質問なのですが、マル勝髙田さんは、いったい何屋ですか?

[髙田] それを聞かれると…(笑)。う〜ん、でもやっぱり素麺屋ですよ。だけど今までの素麺屋とは違うぞと。これからの素麺屋ってどうなっていったらいいのか? 斜陽産業だからこそ、そこでどう生き残っていくか、業界全体の視点で考えたい。だから、僕は今、素麺屋だけどオリーブオイル屋だし、最近では石鹸屋さんでもあるんですよ。

[中許] 石鹸? それはオリーブオイルからの石鹸ですか?

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[髙田] そうです。オリーブオイルは元々素麺の原料で使用しています。素麺って原材料は小麦粉と食用油と塩の3つなんです。良い原料を突き詰めていくと油はオリーブオイルになりました。オリーブオイルといえばイタリア、中でもプーリアとシチリア、両方から仕入れています。そんな流れで良いオリーブオイルに出会えたので、今は輸入販売をしています。

[髙田] さらに、レストランは今、「てのべたかだや」だけですが、店舗拡大させてゆくゆくは世界中に店舗を出したいんです。例えば西海岸とか、ボストン、ニューヨーク、あとロンドンとかパリとか。そして進出する際、小麦や油の品質や水質の関係上、素麺は現地生産できないから国内生産で輸出することになります。そうなると希少性が高まるので日本の手延べの価値、価格を上げられると考えています。そうすると、今、高齢化でどんどん減っている生産者を守ることにもつながります。三輪はもちろん、長崎とか、小豆島とか播州とか、地方創生にも十分寄与すると思うんですよ。

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[中許] なるほど。将来的に世界を見据えながらも、素麺が持つ伝統的な価値を絶やさないために、素麺から派生する様々な魅力を発信する活動も行なっている。そしてこの発信を経て、減少する生産量に歯止めをかけ、市場自体を活性化しようとお考えなんですね。これからまだまだいろんなことを仕掛けていかれそうですね。本日はありがとうございました。

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