大阪府八尾市で1951年に開業。四代にわたって受け継がれる高い技術力を生かし、フライパン・鍋・ヤカン・コップなどの金属製品を作り続けておられる、藤田金属株式会社。
近年は「フライパンジュウ」や「テーブルランプ イチ」など、独創的な自社ブランド・製品の開発にも力を入れ、国内外の様々な賞を受賞されています。
また、近大との産学連携、アパレルブランドとのコラボによる作業服開発、フェムテック企業とのコラボなど、様々な分野での協業開発にも積極的に取り組んでおられます。
今回は同社の、事業継承と変革、そしてブランド価値を高めることでファンを獲得することに成功した真相を、代表取締役社長 藤田様にお伺いしました。
御社は今年で創業72年目を迎えられる老舗企業ですが、先代であるお父様から会社を引き継いでいくことは、かなりプレッシャーが大きかったかと思います。 藤田社長がまず会社に入って思ったことをお聞かせいただけますか?
2020年に入社したのですが、正直いうと「なんじゃこの業界!?」と思いましたね。ちょうどITバブルの時代で、中国からの安い製品の輸入が多く、ものづくりの業界全体が厳しい状況でした。どこに提案に行っても、価格交渉ばかりで、周りはかなり年齢の離れた職人さんばかり。正直えらい会社に入ったなと思いました。(笑)
そして、当時は自社のブランド力が全くない状態だったので価格も結構値切られてましたし、下手に売れる商品を作ると半年後には中国製の安い商品が出てくるし・・・。(苦笑)
新しいものを作って、提案しての繰り返しでした。
なるほど。厳しい時代に入社されてご苦労も多かったことでしょう。
当時はブランドを持たずに、ものづくり一本で頑張ってこられたんですね。
どの時点から自社ブランドを持とうと思われましたか?
私の父親が代表になったタイミングです。
当時は毎月赤字で、このままではまずいなと思い、2014年東京のビッグサイトで、東京ギフトショーに出展したことがはじまりです。
この展示会に持っていった、「鉄フライパン」が当時は珍しい製品で注目され・・・
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今やTVなどのメディアでも紹介されるほどの人気ブランド「フライパンジュウ」ですが、このブランドが生まれるに至った経緯やブランド成功のきっかけを教えていただけますか?
東京の中目黒に拠点を持つ、治田将之さんと青木亮作さんによるクリエイティブユニット「TENT」さんとの出会いがきっかけです。
着脱のできる鉄フライパンをつくりたいと依頼して、上がってきたデザインが今の「フライパンジュウ」。その後特許を取得して、今では藤田金属を代表するブランドになりました。
町工場の企業が、「外部にデザインを委託する」っていうのは中々勇気のいることだと思いますが、やろうと決断されたきっかけはなんだったんでしょうか?
そうですね、製造業が「デザイン」っていう所にお金を使うという概念が元々なかったので正直かなり悩みました。当時「フライパン物語」という別ブランドで得た利益をそのままつぎ込む形で・・・
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事業の変革を通じて、様々な危機を乗り越え、時代の牽引者となった、企業家・経営者様に焦点を当てたプロフェッショナル同士の対談記事です。
過酷な経営者業を生き抜くための、事業変革やリブランディングのヒントになれば幸いです。