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コラム

, , 2021/07/16
&マガジン02_丸紅木材株式会社

8期連続赤字からのV字回復
さらに新市場への参入で企業価値を上げた
「丸紅木材」成功への軌跡

&magazine #02

8期連続赤字からのV字回復
さらに新市場への参入で企業価値を上げた「丸紅木材」成功への軌跡

magazine#02_丸紅木材株式会社

丸紅木材株式会社

創業は1949年の丸紅木材株式会社
以降、東南アジアを中心とした、海外産木材の輸入・販売業で基盤を固め、市場の変化に合わせて仕入れる国や木材を変化させ、常に時代にフィットしたビジネスマネジメントを行ってこられました。
近年ではBtoCビジネスにも参入。ヒノキをつかった家具・玩具のブランド「IKONIH(アイコニー)」を立ち上げ、収益性の高い事業展開をされています。BtoBが主軸の木材卸の会社が事業変革を行い、BtoCビジネスで成功を収めるまで、そしてこれからのこと…。代表取締役社長の清水文孝氏にお伺いしました。

27歳で社長に就任
その経緯と就任してからの苦労

[中許] 17歳でこの会社に入られて、社長就任も早かったですよね?
まずはそのあたりのお話からお聞かせください。

[清水] 入社10年、27歳で社長になりました。経緯を言うと、もともとは祖父が創業した会社です。96年に入社して、まずは熊本で現場を4年やってて、営業になって5年が経った頃ですかね。急に4代目の社長が辞めると言い出したんです。当時、経営状態が本当に危なかった。

[中許] 2006年くらいですか? その頃って木材全体の市場が悪かったんですか? それとも丸紅木材さんだけが…?

[清水] かつて僕らの会社の礎となったのは東南アジアの木材。インドネシアやマレーシア、パプアニューギニア等から木を仕入れて日本の市場に卸していた。昔は日本も、家をたくさん建ててた時期で景気よかったし、東南アジアの国々も資源を切り売りしてでも外貨が欲しい訳ですよね。ということでバンバン木を切り出してくれていた。

[清水] ところが2000年代に入った頃から東南アジアが豊かになってきて、自国の資源を切り売りする時代じゃなくなってきた。日本国内にも「こんなに東南アジアの木を切ってええんか」という環境保護の観点からの意見も出てきてた。だから木材市場が不景気というよりも、僕らがやっていたアイテムがずれてきてたんです。このままいったら、このマーケットなくなるやろなと思ってました。

[中許] そうした頃に社長に。いろんな苦労もあったかと思いますが・・・。

丸紅木材株式会社_清水氏01

[清水] 社長になったのは、誰も成り手がいなかったから、と言うのが正直なところです。当時は、僕が社長になる前まで8期連続の赤字。給料は上がらないしボーナスは出ないし、会社の雰囲気は悪いし…。本当にヤバかった。

[清水] 社長になると言うと周りからは「何でお前が、何億も個人負担せなあかんねん。潰れそうな会社やろ?、潰したらどうや?」と言われましたしね…。それに、これは社長になってからですが、一番驚いたのは、お金が借りられないことですかね。やはり、社長が急に辞任したと思ったら次の社長が27歳の若造。だから当時は日掛けで資金繰りをしていましたよ。

[中許] その頃は、やはり自ら営業もしないといけないし。

[清水] もちろんです。売りながらお金のこともやって、でも人は辞めていく…。まぁでも面白かったですけどね。ぎょうさん生命力もらいましたわ。

[中許] それを面白いと思うか、辛いと思うかは考え方次第というか。その時の原動力のみなもとは何ですか。変な話、親父さんから継いだ会社でもないし、潰そうと思えば潰せたんじゃないですか。

[清水] ええ。でも私には営業マン時代から目をつけていた「中国のポプラ」があったんで。原動力はこれですかね。これでやっていけるというか、「ポプラがイケる」という確信があったので、怖さは特になかったですね。

会社の救世主となったのは、中国産のポプラ

[中許] そのポプラのことを詳しく教えてください。

ポプラ並木

[清水] ポプラ並木とかいうでしょ。名前はみなさんもご存知だと思いますが、ポプラっていう木は、8年で伐採できるんですよ。中国は建国して70年くらいだと思いますが、かつて防護林としてイタリアから仕入れたポプラを品種改良して、農民のいい商売にしていたんです。

[清水] で、この木が莫大に資源としてある。ただ、早く育つ木というのは料理の仕方で全然味が変わるんですよ。何十年何百年と経った木というのは安定しているんですけど、若い木というのは、成長も早い代わりに、カットしたら曲がったりとか、個体差が出てくる。だから資源量としては問題ないし、同業も目をつけてましたが、それを料理(加工)してる中国の会社というのが、対日マーケットに合うレベルの製品が作れなかったんですね。

[清水] だから「中国のポプラって、材料としてはいいけど、商品としては品質を担保できない」という評価になっていました。なので、自分が中国に入ってうまく料理したら商売になるんじゃないかと思っていた。自分で工場の中に入って、生産ラインをこういう風に変えてくれとか、生産理論学んで、ここに投資してくれとか、ということをずっと繰り返しながら対日向けのスペックを作り上げました。

[中許] なるほど。でも当時バイヤーや日本人からしたら「中国のポプラ?、あぁもうダメダメ…」みたいな。使ったことがなかった会社さんも多い訳でしょ? そういう思い込みとか悪評を覆すために、どうやって説得したんですか?

[清水] まずは硬さや耐久性などの、ポプラの品質に関わる全てのエビデンスをとりましたね。それにヒノキや杉と違って、当時ポプラのセールスカタログが無かった。でも営業って、同じことを喋っても、人によって伝え方・伝わり方が違うじゃないですか。だから、誰が伝えても同じように理解してもらえるよう「ポプラLVL」のカタログを作って、それを使って商談・プレゼンテーションをしました。

[清水] また、社内的には「中国のポプラ<LVL>と言ったら丸紅木材」と言われるようになるんやとキーワードを定めた。これ言うのは簡単でしょ。それで、対外的にも社員にも言っていくと、そのために何が足らないのか?何をやったらできるのか?そんな事を考え、積み重ねていった結果、売れるようになった。

[中許] ポプラの販売が徐々に増えていって資金が回るようになって、軌道に乗ったのはいつ頃からですか? 

[清水] 黒字化したのは2年目から。キャッシュフロー上は弱かったですけど、営業利益自体は確実に出ていました。ポプラは儲かりましたし、これをまともに料理して持ってくるのは丸紅木材だ、というのがお客様に浸透しだした。そして30歳の時には安定軌道にのりましたね。その頃中国との取引が約8割、東南アジアが2割でしたから。そしてその数年後、東南アジアはゼロになりました。

&マガジン#2_丸紅木材 清水氏

新市場参入のきっかけは「もったいない」

[中許] 経営も安定してきましたが、これで満足するのではなく、次のビジョンというか目標として生まれたのが新市場参入ですか? 

[清水] 会社を継続していくためには、当然商売やから、儲けなあかん。でも正しいことして儲けたいというのがどこかにあったんです。そんな時、7年前かな? 熊本にいた時の知り合いが「こんなん、もったいないことないか?」と木材の写真を送ってきたんです。

[清水] それが国産のヒノキ材だった。大きいのも小さいもの混在してて、確かにもったいない。それで、一度林業会社にお願いして見学させてもらったら、すごい急斜面に生えてる。斜面に生えてて、当然根元は曲がっているのでカットする。トラックには積めない、積載効率も悪いしね。それが沢山残されてた。林地残材っていうんです。でも根っこってフシが少ないし、もったいない。この林地残材を使って商いできないかなとその時に思ったんです

林地残材

[清水] 短いモジュールで作れる何か。家具作ったら端材出るからそれで玩具とか、玩具作った端材でノベルティとか。そして、それをどうやって僕らにしかできない競争力をつけるかいうところに時間がかかりましたね。平たく言うと海外、僕らは海外のつながりが多いんでベトナムで製造しようと。それとヒノキというのはこの国にしかない素晴らしい材料。ならば逆に海外をマーケットとして動いてみようかと。国内も売るけど、僕らの付き合いのある中国とか、韓国、台湾、シンガポールとかも商圏になるんじゃないかと。僕は、中国をビジネスの最大の市場と捉えている代わりに、最大のライバルは中国人だと思ってるんですよ。日系の会社ってあまり中国で成功してるイメージ少ないじゃないですか。それは結局、同じ機械使っても絶対彼らの方が安い、人件費にしても税金の問題にしてもそう。コンプライアンス上できないことも彼らはやることがあるし…。だから、僕はこのビジネスの仕組みを作った時に、中国人が同じことをやってきても負けない仕組みにしとかないとダメだと思ったんです

[清水] だからヒノキだったら日本の山から始まるので仕入れにアドバンテージがある。それから中国も今後どんどん人件費が上がっていくだろうと。これは装置産業化できない事業なんで。全部手作りなんです。そういう意味で、今からベトナムでこの産業を育てていくっていうのは将来的に良いと思ったんです

[中許] 日本のヒノキをベトナムに持って行って加工して中国で売るんですか? 

[清水] そうです。日本市場も含めての販売ですけどね。生産は100%ベトナムでしています。ベトナムには、2011年に工場に視察に行った際、すごく綺麗な物を作っていて、若い子達は英語をしゃべれる。当然スマホも、パソコンとかも完璧にやるし。そんな現地を見て、この国ならイケそうやなと。そう思って生産拠点を決めました。

[中許] なるほど。工場設立はスムースに行ったんですか?

[清水] いやスムースじゃなかったですね。トラブりました。いまだに外注でやった方が安いんですよ。何百人も従業員雇って事業してる訳ですから。でも最終的に、今やっていることをブランドにしていくためには、それをやらざるを得ない、そう思っていたんです。

[中許] 完全OEMにするという手もあったんじゃないですか?

[清水] それもありました。でも、それだったら中国人でもできると思ったんですよ。最終的に目に見えないものかも知れませんが、彼らがここでコンペティターになった時に、僕がすでにそこで立ち位置ができているかどうかということ。「アイコニー」という一つのブランドが成立しているかどうか。工場も、ヒノキを専門に製品づくりする設計であったり図面であったり、製造工程であったり、彼らよりイニシアチブを持ってるかどうかというのが僕にとっては重要だったんで。

[中許] なるほど。今、「アイコニー」という名前が出てきましたけど、「アイコニー」構想というのはどのくらい前からあったんですか?

[清水] 構想だけなら林地残材でおもちゃを作ろうと思ってる時にはもうありました。「アイコニー」という名前が決まったのは6年前くらいかな。忘年会でお酒飲んでて、それまでは「ヒノキング」でいこうかって。でも社員と目が合わへんのですよ。「ヒノキング、どう思う?」って聞いたら全員が目をそらすという…(笑)。で、たまたま一人の社員が、ヒノキって「H、I、N、O、K、I」ですよね、これ逆にしたら「イコニー」、じゃあ「アイコニー」にしたら?となったんです。それめっちゃええやん!となって、焼酎二杯目で決まりましたね(笑)。

ひのきを使ったおもちゃブランド「IKONIH」

「木育」を楽しく理解してもらう「IKONIH(アイコニー)」と言う活動

[中許] 今アイコニーは、どんな事業のカタチになっていますか? 

[清水] このアイコニーの玩具があるから、木のおもちゃ屋さんと思われがちなんですが、僕らは「アイコニー」をプロジェクト活動という捉え方をしているんです。例えばこの、子供の机を作りますよね、作ったら当然、端材が出て来るんで、それを使っておもちゃを作る訳です。まずは机が「大」なんです。大を作った端材で作ったおもちゃが「中」、中をつくった端材が出てきたら、企業向けのノベルティを作る、これが「小」なんですわ。この小を作ってる過程で出て来るのがこういう「ウッドチップ」なんです。要は、この全部を商品とすることで、この「アイコニー」という事業は成り立つんです。付け加えると、製材した時に油(ヒノキオイル)も取っています。

ひのきのエキスを使ったミスト

[中許] まさに、それってSDGsですね。

[清水] 結果的にそうですね。だから世の中がSDGsって言い出した時に、「それこそアイコニーやん」ってなりましたね。ハードというか、この生産体制と技術力は安定期に来ています。このフェーズはもう完成したんで次のステップにいこうと思っています。

[中許] 今後、アイコニーをもっと売っていくために、足らないものって何ですか?

[清水] まだまだ、いろんなものが足りないと思います。1つ目は、アイコニーがなぜ生まれて、なぜアイコニーが必要なのかということを、同じ温度で語ってもらえる場面であったり、ツールが必要です。物を買ってもらいたいがために売るんじゃなくて、これを使ってもらうことの意味とか価値とかの伝え方をしっかりと考えたい。2つ目は、エビデンスの確立。デザインの良さや、子供に木のおもちゃいいですよ、とか言うんですけど、じゃ何がいいんですか?と聞かれたら誰も何も答えられない。いま、神戸大学や埼玉大学と色々研究しているのが、子供が木のおもちゃを持つことによって、脳のアルファ波のどういう変化があるかとか、科学的根拠を作っています。こういったエビデンスの積み上げも必要だし、画期的なデザインも必要。これらを積み重ねていけば、どうせやったら我が子に買ってあげようと思ってもらえる商品になっていくんじゃないかなと思う。

[清水] YRK andさんからこの前「コミュニケーションを生むおもちゃ」という、一つのブランドコンセプトをもらったんですけど、これを今度、どうお客様に伝えていくかという方法論を僕らは考えていかないといけない。そこ、すごく大事やなと。

[清水] あとこの前、熊本に山を買いましてね。その山に体験施設を作るんです。何を作るかというと、伐採体験やワークショップ、ウッドチェアとか作れる木工教室を作って。あとキャンプ場、木造の平屋、アスレチック、養蜂場、等など。これを全部、「アイコニーの森」と称して立ち上げるんです。それのプロトタイプを熊本でやります。アイコニーの代理店って北海道から九州まで、それぞれみんな山を持ってるんです。なのでまず熊本から始めて全国の山で多展開するんです。そこをアイコニーのユーザーに全部無料開放して、地域の学校とかに使ってもらえたらいいなと。やっぱ体験したことって忘れないでしょ?山で生えてる木をなぜ切らないとアカンのかという理由とか、切った物を組み立てて完成までもっていくプロセスを学べたり、山のことを勉強してもらう。ステージも作って山のアニメとか見てもらったり、BBQでもして1泊していってもらえたらええし。構想は膨らむ一方ですわ。

[中許] まさに、ブランドを活動化してく、ブランディングですね。

[中許] 最後に一つ。ポプラLVLという木材を販売し、IKONIHと言うブランドで商品に限らず様々な活動を行われている丸紅木材としての、将来的な目標は何ですか? 

[清水] う〜ん、当然、僕は木材しか扱った事ないんで、ここから逸脱した商売はこれからも、生きてる間は絶対しないと思う。いまはヒノキが中心ですが、これからもあくまでも木材でいく。その中で「木育」っていうのをすごい大きなテーマとして掲げてる。この、木の素晴らしさを理解してもらうためにアイコニーを売っている。だからそのことを、世の中にうまく伝えていける会社にしていきたいですね。

[清水] あと、男女関係なくやれる商売をどっかで作りたいと、すごい思ってますね。今まで僕は、差別でも区別でもなくて材木屋は女はアカンと思ってた。物理的に重い商品なんで、女性は無理だろうなと。でもアイコニーならいけると。むしろ女性の方が良かったりもする。アイコニーというブランドを作り上げたことで、そこの部分は大きく変わってきましたから。ここをますます伸ばしていきたいですね。

[中許] なるほど。女性も活躍できる職場環境も整えておられるんですね。木材を世の中へ浸透させることと、SDGsの本質的な活動が表裏一体になっていますね。御社の業績が上がれば上がるほど、持続可能な社会に貢献できるシステムになっているのだと感じました。サスティナブル社会に向けて、御社の存在価値は今後ますます大きくなりますね。

[中許] 本日はどうもありがとうございました。

&マガジン#2_丸紅木材 清水氏

&magazinとは?

事業の変革を通じて、様々な危機を乗り越え、時代の牽引者となった、企業家・経営者様に焦点を当てたプロフェッショナル同士の対談記事です。
過酷な経営者業を生き抜くための、事業変革やリブランディングのヒントになれば幸いです。

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